ムリせず頑張りすぎない生活

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アラフィフ主婦のスローライフのすすめ。日々思う事や、ダイエット、美味しいもの、旅行などの情報を発信していきます。

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実家を解体しました。

こんにちは、れいです。

先月、実家を解体しました。
 
父と母が亡くなってから3年ちょっと、無人の実家でした。
少しずつ、片付けました。と言ってもほとんど、妹がやってくれました。

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昭和30代後半、祖父が建てた平屋の家でした。
その後、祖父は違う所に家を建てたので、父が受け継きました。私が2才の頃でした。
片づけていた時、物置から祖父の賞状、写真、服など出てきました。
私が生まれる前の物です。

井戸水もあって、小さな池もありました。
2011年の東日本大震災の時、断水していた時は、井戸水は重宝したと、母が言っていました。

そして、私が小学校高学年の頃、半分を建て増しし、二階建てにしました。
二階に私と妹の部屋がありました。

半分は築60年位、二階建ての方は築40年位ということです。

私が小さい頃は、庭に梅、柿、びわ、いちじく、ザクロ、ぶどうがなっていて、桜もありました。
私が上京した時、スーパーで売っているいちじくやびわが高くてびっくりしました。
小学生の頃、クリスマスツリーは、父が山から切ってきた生のモミの木に飾りつけました。(その飾りは今も家にあります)
ほんとにモミの木かどうかわからないのですが、クリスマスが終わると、その木は庭に植えた記憶があります。

私が大人になってからは、庭は家庭菜園になって、両親はいろいろ作ってました。
息子が小さい頃、トトロのめいちゃんの真似をしたくて、母が育てていたキュウリを取ってもらって、キュウリ丸かじりしていました。

昔は、周りにもっと家が建っていました。
山があって、斜面は小さな畑でしたが、今は、道路です。
その畑で、春の天気の良い日、母と妹とお弁当を食べた記憶があります。
そぼろ弁当でした。妙な事を覚えているものですね。
だいぶ周りも変わりました。

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父は病院で亡くなりましたが、最後まで家に帰りたい、と言っていました。
私は18才で上京するまで、住んでいた家です。その後も「帰れる家」でした。
解体すると決めた時、息子は「ママが帰れる家がなくなっちゃうね」と言ったけど、帰っても待っている人はいないのです。

たくさんの思い出はいつも、自分の心にあります。

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解体の日は、立ち会えませんでしたが、妹や解体業者の方が、写真を送ってくれました。
父や母が亡くなった時に、「いつかはこういう日が来るんだ」と自分を納得させましたが、今回、実家を取り壊した時も、もちろん寂しいけれど、「形あるものはいつか壊れる」と思っています。
 
来月、お墓参りに行くときに、更地になった実家跡を見に行ってきます。
 
ここまで読んでいただきありがとうございました。
それでは、また。
 
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