こんにちは、れいです。
前回の続きでハワイ王国の歴史②です。
ルナリオ王の死後、再び国王選挙が行われ、カラカウアが選出されました。
- カラカウア王
経済発展のため、アメリカに砂糖などの輸入自由化を認めさせ、砂糖産業が繁栄。
移民調査、外交関係を改善するため、世界一周旅行、日本も歴訪。
イオラニ宮殿を建設。
1887年クーデターが起き、改正憲法により王権をかなり失った。
1890年体調を崩し、1891年死去。
陽気な王様(メリー・モナーク)と知られ、フラを復活させた。
現在でもハワイ島で年に一度、フラのお祭りメリー・モナーク・フェスティバルが行われています。
- リリウオカラニ女王
ハワイ王国最後の女王。カラカウア王の妹。
国王権限を強化する新憲法草案を閣議に提出するが、否決される。
1893年、共和制派が王政廃止を宣言。ハワイ王国滅亡。
1895年、反逆罪の罪でイオラニ宮殿に幽閉され、女王廃位。
幽閉中に作詞作曲した「アロハ・オエ」有名ですね。
ハワイはその後、ハワイ共和国となり、アメリカに併合されハワイ準州となります。
リリウオカラニ女王死後、42年後の1959年、50番目の州としてハワイ州となります。
その他の王族
- カイウラニ王女
カラカウア王の姪。イギリス留学中にカラカウア王が死去、ハワイ王国は滅亡。
イギリスよりアメリカに渡り、大統領にハワイ王政の存続を訴えた。
ハワイ帰国後、23歳で死去。
- クヒオ王子
カラカウラ王の妃カピオラニの甥。ハワイ統一前のカウアイ島王のひ孫。
カラカウラ王やリリウオカラニ女王からの信頼も厚かった。
ハワイ王国滅亡後、王家初、ハワイアン初、アメリカ下院議員に選出される。
準州だったハワイを州に昇格させるためハワイ立州法案を提出、またハワイアンの血が50%以上入っている州民に20万エーカーの土地を与えるという「ハワイアンホームステッド法」を制定。
誕生日である3月26日は、クヒオ・デーとしてハワイの祝日です。
100年弱で滅亡してしまったハワイ王国。
でも、100年以上たった現在でも、王族がハワイの人々から愛されているのがわかります。
ちょっと、気を付けてワイキキを歩いていると王族の名前が入っている道路、公園、ホテル名を目にすることができます。
ワイキキのメインストリート、東西に約2.5キロにわたって縦断する「カラカウア通り」はカラカウア王にちなんで名づけられました。
カラカウア通りより北側、カラカウア通りと並ぶように縦断するバス通りは「クヒオ通り」。
ワイキキの東側にある「カピオラニ公園」はカラカウラ王の妃カピオラニから名づけられました。
カイウラニ王女が幼少期を過ごした地に建てられた「プリンセスカイウラニホテル」。ワイキキのど真ん中に立つ老舗ホテルです。私も何度か泊まりました。ロビーにはプリンセスカイウラニの絵が飾られていました。
2018年にリニューアル、ワイキキの東に建つ「クィーンカピオラニホテル」。
今は名前が変わっていますが、クヒオ通り沿いに「プリンスクヒオホテル」もありました。
前回のハワイ王国の歴史①でカメハメハ1世の像は紹介しました。
カメハメハ3世の像はトーマス・スクエアに、カメハメハ4世と妃エマ王妃、アルバード王子の像はインターナショナル・マーケットプレイズに設置されています。
カラカウラ通りには、もちろんカラカウラ王の像とプリンスクヒオの像。
カラカウアハイウェイ、 リケリケハイウェイなど高速道路にも王族の名前が付いています。(リケリケはカラカウラ王の妹、カイウラニ王女の母です。)
オアフ島だけでなく、ハワイ島やカウアイ島にも、もっとあると思います。
今度ハワイに行ったら、見つけてハワイ王族を偲びたいな、と思います。
カラカウア王が建設したイオラニ宮殿はアメリカに現存する唯一の宮殿です。
宮殿の中は一般にも公開されていて見学できるんですよ。
王座の間や大広間、当時使っていた家具や品々を見る事ができ、ハワイ王国の豪華な雰囲気を感じる事が出来ます。
ハワイの歴史に興味がある方に、おすすめの場所です。
ハワイ王国の歴史②はこれでおしまいです。
お読みいただきありがとうございました。
もしかしたら、また続編があるかも~。